6月終わりのロシアは、まさしく初夏。
雪が終るのは4月以降、そして
10月には初雪が降ることもあるというモスクワの街は
ようやく短い夏がはじまりかけたところでした。
わたしがロシアに着いた初日、モスクワの街を歩きながら
まず目に止まったのは街路樹のポプラでした。
モスクワをはじめとしたロシアの都市の
街路樹の多くはポプラの木で、
ロシア名ではトーポリと呼ばれています。
初夏、その枝々にはあふれるように花が咲き、
そしてそれは日を追うごとに咲きすすみ、
やがて実ができて綿毛になり、その綿毛が街中に舞います。
路上には白くふわふわとした綿毛が降り積もります。
ワシリー寺院のカラフルなネギ坊主の上に
赤の広場の広々とした石畳の上に
公園の芝生の上に、スターリン様式の巨大なビルの窓に
時おり火花を飛ばすトロリーバスのパンタグラフにも。
もし緑濃く茂る若葉がなかったら、
肌を露出する服装の人々の姿がなかったら、
今は冬なのかしらと思うくらい
街中がポプラの綿毛の吹雪で埋まります。
ロシアの都市にある街路樹は、ほとんどが
第二次世界大戦後に緑化事業として植えられたものです。
その多くにポプラの木が選ばれたのは、
寒さに強く、生長が早いという理由からでした。
そのとおり今日のモスクワの街中で見かけるポプラは
どれも見上げるような大木で、
枝々に葉を豊かに茂らせて深い緑陰をつくり、
石造りの建物が多く無彩色に見えがちな街に
みずみずしい潤いを添えています。
しかしそんな初夏の風物詩ともいえるポプラの綿毛も
問題がないわけではないようです。
北国だけにクーラーが設置されていない建物が多いロシアでは、
暑い日には多くの窓が開け放たれます。
ポプラの綿毛はその窓からも入りこみ、
テーブルの上に積もったり、
コーヒーカップの中に入ってしまったりします。
コンピュータの内部でトラブルを起すこともあるし、
この綿毛によるアレルギーを発症する人も少なくないそうです。
そういったことから最近はポプラの街路樹を伐採する例も多く、
綿毛が飛散する前に放水車を派遣して
枝から綿毛を落とすこともあるようです。
戦後すぐに植えられたポプラはそろそろ寿命が来ますが、
老木のあとに違う種類の樹木を植える例も多いと聞きました。
それでもロシアの美しいポプラ並木がなくなる日は、
おそらく来ないだろうと思います。
初夏、雪のように舞うポプラの綿毛がなくなったら
街はとても寂しいものになる気がします。
わたしのような旅行者は呑気に風景を楽しむばかりですが、
こうした綿毛ばかりではなく、やわらかな緑の若葉が萌える春、
黄金の葉が舞う秋の風景もふくめ、ロシアの人々はきっと
ポプラの木を深く愛しているのではないでしょうか。
古くからロシアの文学や歌の詞には、
タパリーヌィ・プーフ(
Тополиный пух = ポプラの綿毛)という言葉が
数多く登場しています。
さて、わたしがモスクワに着いて一週間ほどたった頃、
ポプラの綿毛が街中に降り積もったとある夕方に、
突然激しい夕立が降りました。
まさしく一天にわかに掻き曇りという感じで、
東南アジアのスコールを思い出させるほどの激しい雷雨でした。
小一時間ほどして雨は上がったのですが、
雨の前までは雪のようにつもっていた路上のポプラの綿毛が
きれいに洗い流されていました。
この夕立があった日以降、ポプラの綿毛の吹雪は見なくなり、
気温も上がって陽射しは一段と強くなりました。
抜けるような青空に浮かぶのは明らかな夏雲です。
街路樹の枝にはすこし綿毛が残っていますが、
もう吹雪になるほどではありません。
この夕立は、季節の境界線だったようです。
7月初め、モスクワは初夏を過ぎて、本格的な夏に入りました。
ポプラ (露:トーポリ/ТОПОЛЪ)
ヤナギ科ハコヤナギ属(Populusの仲間)の総称。ヨーロッパや中央アジアに分布する落葉高木。'Populus'はラテン語で「震える、ざわめく」などの意味で、葉が風にそよぐときに鳴るサラサラという音からつけられた。生長が早く、繁殖力が強い。種類や環境にもよるが、平均的な寿命は60~70年ほど。仲間にはセイヨウハコヤナギ(Populus nigra var. italica)、ヤマナラシ(Populus tremula var. sieboldii)、ドロノキ(Populus suaveolens)、ギンドロ(Populus alba)などがある。
ヨーロッパでは街路樹や防風林として使われることも多い。軽く加工しやすい木材は野菜などを運ぶ箱の材料とされるほか、オランダでは木靴の材料にされる。
札幌の北海道大学第一農場脇のポプラ並木はセイヨウハコヤナギ(別名イタリアポプラ)。これは明治36年(1903)に植えられたもので、すでに樹齢が100年を超えている。近年台風で倒れるなどの問題も起きて保存が危ぶまれたが、2005年春、倒木のあとに若木が植えられたそうだ。