庭園美術館で開かれていた『庭園植物記』。
個人的な目的は、まず牧野富太郎肉筆の図譜。
それから『草木図説』『日本植物志図篇』のオリジナル。
牧野富太郎は生涯に千七百点の植物図を描いていますが、
その中には白眉とされるものがいくつかあります。
この展覧会にもそのうちの数点が出ていました。
印刷物では見慣れている牧野の植物図ですが、
肉筆は迫力が段違い。精緻さ、その表現の豊かさ。
いやもう、ちょっと、言葉になりませんでした。
世界中には無数の植物図がありますが、
まちがいなく牧野の図は最上の部類に入るでしょう。
この植物図数点を見ただけでも、行った甲斐のある展覧会でした。
『庭園植物記』図録(東京都立庭園美術館)・『牧野富太郎植物画集』(高知県立牧野植物園)
牧野は一枚の植物図を描くために、
まず季節ごとの姿を丹念に観察し、ルーペや顕微鏡を覗き、
解剖図や組織図も含めた膨大な枚数の予備図を描いたそうです。
描くときには蒔絵に使われる極細の毛筆を用いました。
しっかりとした太い直線も、すべてこの筆で描かれたものです。
石版画もみずからが手掛けていますし、
印刷の校正刷りには、紙面全体が赤くなるほどの
非常に細かい赤字(訂正指定)を入れるのが常でした。
そうした仕事の確かさとともに、
牧野の植物図で印象的なのは、
全体の構図や遠近法にも優れた作品であるということです。
明治以前に描かれた日本の植物図は
遠近感に乏しい平面的な表現のものですが、
牧野は初期の作品こそ平面的であるものの、
その表現は時をへるごとに立体的になり、
植物はより生き生きとした姿で描かれるようになります。
彼は西洋の美術にも目を向け、
その技法を学んだのだと思います。
図の褪色をできるだけ避けるために、
着彩には英国製の最高級水彩絵の具が使われました。
ところで今回の展覧会であらためて感じたのは、
ボタニカル・アートと ボタニカル・イラストレーションは
同じように聞こえるけれど、まったく違うものということです。
このふたつの言葉を日本語にするなら、
「植物画」と「植物図」となるでしょうか。
たとえば牧野が描いた作品はボタニカル・アートではなく、
ボタニカル・イラストレーションと呼ぶべきものです。
「植物図」は植物を研究する者にしか描けないものだと思います。
これは植物の造形をそのまま写したものではありません。
また、ひとつの個体だけを資料に描いたものでもありません。
あらゆる個体を詳細に観察し、見比べ、その生育環境を知り、
さらには進化の歴史も踏まえていないと、
真に正しい図を描くことはできないでしょう。
牧野の手による図譜は、それらをこなした上で、
造形作品としても充分に美しいものでした。
写真という手法が飛躍的な進化を遂げ続けている現代ですが、
今もなお植物図による図鑑は必要な存在であり続けています。
それは、植物写真と植物図が、
あきらかに違う目的を持つからです。
写真でしか表現しえないものはたくさんありますが、
同じように、図でしか解説できないものも無数にある。
すぐれた観察眼と経験、知識を持つ植物図家は、
未来も確実に必要とされるはずです。
違う視点から考えると、優れた写真と植物図からなる
図鑑を手にすることができるわたしたちは、
実に幸福な時代に生まれたのだとも思います。
こうした数々の植物図鑑はもちろんですが、
植物学という分野、ひいては植物とかかわる文化全体に、
牧野富太郎という人物はとてつもなく大きな影響を与えています。
『庭園植物記』は、それを再認識させてくれる展覧会でした。
『庭園植物記』図録(東京都立庭園美術館)
高知県立牧野植物園
昭和33(1958)年、牧野富太郎の出生地である高知県に開園。平成11年(1999)11月には大規模な改修が行われ、敷地を大きく広げた。園内には牧野ゆかりの植物をはじめとした、約1500種13000株の植物が植えられている。
敷地内にある「牧野富太郎記念館」には、展示室や図書室、研究施設などのほか、牧野の植物図および数万冊におよぶ植物関連の蔵書など約58,000点を保存した「牧野文庫」もある。牧野の植物図は館内ギャラリーで閲覧可能。
高知県高知市五台山4200-6 TEL(088)882-2601
JR高知駅から車で約20分、空港から車で約30分
JR高知駅よりMy遊バスで「竹林寺・牧野植物園行」下車
(My遊バスは週末のみの運行)
練馬区立牧野記念庭園
牧野の居宅跡が昭和33(1958)年に区立公園となったもので、平成20年(2008)に国の登録記念物に指定された。牧野は関東大震災後の大正15年(1926)に移り住み、以後昭和32年(1957)に94歳で没するまでここで研究を続けた。
園内には夫人の名が付けられたスエコザサのほか、牧野ゆかりの植物、約300種が植えられている。記念館には標本、著書、顕微鏡をはじめとした愛用の道具を展示。研究室として使われた離れ(書斎)も保存、公開されている。
施設老朽のため平成20年(2008)に一旦閉園し、改修をへた翌年8月に再開館した。
東京都練馬区東大泉6-34-4 TEL(03)-3922-2920
西武池袋線大泉学園駅南口下車、徒歩5分 入園無料
首都大学東京大学院理工学研究科 牧野標本館
牧野の没後、未整理のまま寄贈された標本をはじめとする植物標本約50万点を保存し、整理を行っている。施設は原則非公開だが、標本類のデータベース化が進められており、現在700余点がWEB上で閲覧可能。
※2013年1月追記。標本館のHP上では一部を除き、現在WEB閲覧ができないようです。
東京都八王子市南大沢1-1 TEL(0426)77-1111